2019年12月11日水曜日

これを見ればすぐわかる!宗教改革!

世界史でお馴染みアシスタントアドバイザー香田です。
立教大学観光学部4年です。


世界史選択の方は必見!
色がついてるものは、確実におさえてほしいところです。
今回は宗教改革について話します。



16世紀前半当時のローマ教皇レオ10世贖宥状を販売します。
これは免罪符とも呼ばれ、お金を払うとあなたの罪は軽減されるというものです。
実際にはサン=ピエトロ大聖堂改築のためにお金を集める詐欺行為。

これに立ち上がったのがルター。
1517年、免罪符の販売を「95カ条の論題」で批判します。

1520年には「キリスト者の自由」で聖書中心主義を唱え、信仰義認論を主張。
これは「人は信仰によってのみ義とされる」という意味です。
1521年、ヴォルムス帝国議会にルターは呼ばれ、
市民権を剝奪されヴァルトブルク城に閉じ込められます。
そんな中でもルターは新約聖書をドイツ語訳して一般の人にも読めるように手配します。



ローマ=カトリック教会(旧教)を批判して、
ルター派という新教(プロテスタント)が生まれること
を宗教改革と言います。

1524年に始まるドイツ農民戦争やオスマン帝国のスレイマン1世の侵攻があり、
ドイツ国内は混乱します。
ドイツのカール5世は支援を得るため1526年、ルター派を黙認します。
しかし1529年にルター派は再禁止
これにプロテスタントは猛抗議します。


1530年、ルター派の人々(世界史的に言うと諸侯)はシュマルカルデン同盟を結びます。
その後1546年に新旧諸侯の戦争(シュマルカルデン戦争)が起き、旧教側が勝利。

1555年のアウクスブルクの宗教和議で諸侯や都市にカトリックかルター派の選択権を認め、
ドイツにおける宗教改革は収束しました。

そしてルター派はヨーロッパに広がります。
ヨーロッパ各国の宗教改革も確認しておいてくださいね。



ルターは信仰に立場は関係なく、聖書を救いの拠り所とする信仰を提言しました。
私は個人的にルターが結構好きです。(笑)
腐敗したカトリック教会に勇気をもって違うと意見したルターは、勇敢だったと思います。
私は皆さんの合格を祈ってます


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