センター試験お疲れさまでした。
最後まで突っ走りましょう。
アシスタントアドバイザーの香田です。
今回はウィーン体制について。
世界史でも最頻出の範囲です。
ウィーン体制とは分かりやすく言えばウィーン会議後のヨーロッパのこと。
なにが行われたか確認しましょう。
ウィーン会議は1814年からです。
フランス革命やナポレオン戦争後のヨーロッパ秩序を保つ目的で開かれました。
オーストリアのメッテルニヒが主宰で、イギリス、ロシア、フランス、プロイセンなど
オスマン帝国以外のヨーロッパ諸国代表が出席。
ヨーロッパが目指す方向として、正統主義と勢力均衡が提唱されました。
正統主義とは、革命期のナショナリズムや啓蒙思想ではなく、
それ以前の昔からあるものが正しいという考え方です。
ナポレオンに散々荒らされたわけですから、ナショナリズムを批判するのは当然ですよね。
勢力均衡とは、大国の利害を重視し、秩序の維持を図ることです。
しかし、「会議は踊る、されど進まず」と風刺されているように、
大国の利害が対立し、会議は進みません。
結果、1815年のウィーン議定書では
フランス、スペイン、両シチリア王国でブルボン朝の復活。
オーストリアはヴェネツィア、ロンバルディアなどを獲得。
プロイセンはラインラント、西ポンメルンを獲得。
ロシアはフィンランド、ベッサラビアを獲得し、ポーランド王国の国王兼任。
イギリスはセイロン島、ケープ植民地、マルタ島を獲得。
スイスは永世中立国に。
議定書の内容も確認しましょう。
正誤問題などで問われます。
自由主義、ナショナリズムをなくし、安定を図ろうとしましたが
やがてウィーン体制は崩壊します。
ヨーロッパの世界史は意外と分かりやすいです。
背景を勉強すれば理解しやすいと思います。
世界史受験のみなさん頑張りましょう!