2020年1月26日日曜日

ウィーン体制

センター試験お疲れさまでした。
最後まで突っ走りましょう。
アシスタントアドバイザーの香田です。

今回はウィーン体制について。


世界史でも最頻出の範囲です。

ウィーン体制とは分かりやすく言えばウィーン会議後のヨーロッパのこと。
なにが行われたか確認しましょう。



ウィーン会議は1814年からです。
フランス革命やナポレオン戦争後のヨーロッパ秩序を保つ目的で開かれました。
オーストリアのメッテルニヒが主宰で、イギリス、ロシア、フランス、プロイセンなど
オスマン帝国以外のヨーロッパ諸国代表が出席。

ヨーロッパが目指す方向として、正統主義と勢力均衡が提唱されました。
正統主義とは、革命期のナショナリズムや啓蒙思想ではなく、
それ以前の昔からあるものが正しいという考え方です。
ナポレオンに散々荒らされたわけですから、ナショナリズムを批判するのは当然ですよね。
勢力均衡とは、大国の利害を重視し、秩序の維持を図ることです。


しかし、「会議は踊る、されど進まず」と風刺されているように、
大国の利害が対立し、会議は進みません。

結果、1815年のウィーン議定書では
フランス、スペイン、両シチリア王国でブルボン朝の復活。
オーストリアはヴェネツィア、ロンバルディアなどを獲得。
プロイセンはラインラント、西ポンメルンを獲得。
ロシアはフィンランド、ベッサラビアを獲得し、ポーランド王国の国王兼任。
イギリスはセイロン島、ケープ植民地、マルタ島を獲得。
スイスは永世中立国に。

議定書の内容も確認しましょう。
正誤問題などで問われます。



自由主義、ナショナリズムをなくし、安定を図ろうとしましたが
やがてウィーン体制は崩壊します。
ヨーロッパの世界史は意外と分かりやすいです。


背景を勉強すれば理解しやすいと思います。
世界史受験のみなさん頑張りましょう!