2020年12月20日日曜日

2人のフリードリヒ二世

こんにちは。早稲田大学商学部1年アシスタントアドバイザーの山岡です。
ちょっと前に筋トレにハマり、5000円くらいするプロテインまで買ったのですが、早くも飽きてきてしまいました。まだ1/5程度しか消費できていません。

今回は私が尊敬する世界史上の偉人「フリードリヒ二世」について書こうと思います。
受験世界史においてフリードリヒ二世というのは一般に二人の人物を指します。

1.フリードリヒ二世(神聖ローマ皇帝)
12世紀当時、人種・宗教のるつぼであったシチリアに生まれ育った彼は、神聖ローマ皇帝に就任してもなお、西洋世界に蔓延していたカトリック第一主義とは一線を画した思想の持ち主でした。そんな彼の時世に、ムスリムから聖地イェルサレムを奪還することを目的とした十字軍遠征が行われようとしていました。過去の十字軍が聖地を奪還する方法として選んでいたのは、当然侵略・戦争によるものです。しかし、シチリアに生まれ、イスラーム文化にも精通していた彼が選んだのは話し合いによる無血開城です。ムスリムを嫌い、虐殺を望んでいた教皇の逆鱗に触れ、破門されたのにもかかわらず、彼は見事戦争をせずにイェルサレムを占領することに成功したのです。皇帝の身でありながら、当時いがみ合っていたカトリック勢力とイスラーム勢力の橋渡しとなった人物が神聖ローマ皇帝・フリードリヒ二世なのです。

2.フリードリヒ二世(プロイセン王)
18世紀当時の小国プロイセンに生まれた彼は、フルートと哲学を愛する気弱な少年でした。軍隊の整備に力を入れていた父王とは反りが合わず、虐待にも近い厳しい教育を受け育ちました。そんな彼が王に就任すると幼少期とは打って変わり、軍隊をさらに強化し各国に侵略戦争を仕掛けるようになります。また、国内の整備にも力を入れ、官僚制の整備や農業開発、河川の整備などを行いました。また、今では当たり前となったドイツ=ジャガイモのイメージも、彼の力によるものが大きいです。また、「君主は国家第一のしもべ」という言葉を残し、絶対王政が主であった時代に法の下での君主であり続けました。そんな彼の時代に小国プロイセンは発展し、ヨーロッパでも指折りの強国となり、今の大国ドイツの礎となったのです。

いかがでしたでしょうか。時代も生まれた国も違えど、当時の時代にはない新たな価値観を持って、国を発展させた両君主。もちろん受験世界史においても超重要な人物ですので、ぜひ彼らの業績を覚えておきましょう!