こんにちは。早稲田大学商学部2年、アシスタントアドバイザーの山岡です。
2年生になって対面での授業が始まり、サークルにも入ったのでようやく大学生になったんだという実感がわいてきました。気分的には新入生です。
突然ですが皆さんは「ユーゴスラビア」という国をご存知でしょうか。ヨーロッパの火薬庫とも呼ばれているバルカン半島にかつて存在していた国であり、「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字を持つ、1つの国家」と呼称されるほど多様性を孕み、民族間の争いが絶えない国でありました。
そんなユーゴスラビアを強烈なリーダシップでまとめ上げていた男、ティトーという人物を今回は紹介したいと思います。
第二次世界大戦中ドイツに支配されていたユーゴスラビアの指導者となったティトー(本名ヨシップ・ブロズ、ティトーは「あれを、それに」などといった適当な意味)は、ソ連に頼らず独力でドイツからの支配を逃れることに成功します。
ソ連の力によってドイツから解放された国々が、戦後おしなべてソ連の衛星国になったという事実からもこの事の重大性が分かります。
そんな経緯もあり、戦後東西どちらの陣営にもつかない「第三勢力」の中心人物として歩みだしたティトーは、民族主義を徹底的に弾圧することで、この不安定な国のバランスを取ることに成功しました。セルビア人だろうと、クロアチア人だろうと、スロベニア人だろうと関係なく、ひとりの「ユーゴスラビア人」である、というアイデンティティを持たせることがそのことのカギでありました。
しかし、彼の死後は有能な指導者は現れず、再び民族紛争が活発になり、ユーゴスラビアは今では(コソボも含め)七つの国に分割されてしまいました。
たぐいまれなカリスマ性で歪な国をまとめていたティトーですが、その最大の失敗は、自分の後を継ぐ後継者を育成できなかったことであると言えるかもしれません。
いかがでしたでしょうか。ユーゴスラビアが存在したバルカン半島の歴史は入試頻出分野でもあるので、世界史選択者の方々はしっかり復習してみてください!